Little AngelPretty devil 〜ルイヒル年の差パラレル 番外編

    “春はあけぼの あきれもの…?”
 




          




 一応は都の内裏近くにあるとは言え、蛭魔の住まう館は場末の寂れた土地に位置し、昼でも人通りは少なく至って静かなもの。何でもその昔に野盗による血も凍るような大虐殺があった場所だとか、人を頭から食らう妖魔が多数住まわっていたとか、ずんと前の代の高官たちが政治闘争の末に失脚させられ処刑された、呪いの立ち込める処刑場の跡地だとか、禍々しい縁起話ばかりが正に諸説紛々、憚りなくも広まっており。そんな土地にのうのうと住まう神祇官(補佐)様もまた、若いに似ず大したものよと。褒められているのだか腐されているのだか、好き勝手の良いように噂されているそうなのだが、それはさておき。
「あやや?」
 そろそろ桜も咲くんだろなとウキウキしつつ、ちょいと油断をすると眠くもなって来るよな、良いお天気の昼下がりの陽光の中。とたとたと軽い足音と共に廻り回廊をやって来た、春向けの色合いも愛らしい小袖に単
(ひとえ)に細身の葛袴という恰好のセナが。濡れ縁にその姿を見つけたのは…今朝方と同じ場所に座っていた葉柱さんで。庭先に立っていたセナと視線を合わせるため、ひょいと屈んで中腰になって下さったのと違い、今は脚を前へと投げ出すようにして板の間に直に座り込んでいらっしゃる。お着物が微妙に違っているから一度は帰られたらしいのだけれど、たった一人で所在無さげにしていらっしゃるなんて珍しいことで。大きな黒豹が悠々と日なたぼっこをしているような図へ、恐れもなく とてとてと近づいて、
「どうされましたか?」
 彼と彼の背後の御簾を交互に見やり、もしかして主人はこの広間にはいないのかしらと懸念したらしき少年へ、
「奴なら中だ。用があるんなら入んなよ。」
 どっちが此処の住人であるのやら、そんな風に促され、
「???」
 だったらどうして葉柱さんはこんなところにいるのかなぁと、小首を傾げたままで失礼しますと声を掛けてから御簾を上げてみたところが…お返事はない。

  「お館様…。」

 庭先はあんなにも明るくて暖かいのに、広間の中は打って変わって妙に寒々しい。陽が高いのに御簾を全部降ろしたままでいるからだろうか。そんな中、わざわざ燈台に明かりを灯して文机の前に端然と座していた主人だったが、その周囲の床の上には…古いもの新しいものの別なく、それは沢山の巻物が文字通り縦横無尽に広げられており。節気毎の反物の商談会でもこうまで一気には広げまいぞという勢いだ。
(こらこら)
“書に陽を当てられなくてのことかしら?”
 あまり長いこと陽に当てると、古いものほど傷むと聞いた。それでの暗がりなのかしらと、そんな室内を呆然と見回していると、
「どうした?」
 視線を上げぬままの蛭魔から低い声で訊かれてしまい、あわわと我に返ったそのままに口を開いたセナであり。
「五経博士のところの高見様から、ご使者がいらしてます。」
 この“五経博士”というのは六世紀前半に百済から来朝した儒学博士のことで、その後も交替で来日し、日本の学問の発達に大きく貢献して下さった。高見さんというのはそんな方々に直接ついて補佐をしたり、はたまた帝や東宮にお勉強の指導をする朝廷直属の大学者さんで、まだお若い方なのに帝からの信頼も篤く、大陸から渡来した最も新しい書物なぞは彼の手を経てからでないと、どんなに位の高い上達部であれその目には触れられないのが順番だとされているほどなのだとか。そんな人物が、どういう訳だか蛭魔には気さくに声をかけて来る。そもそもからして穏健な気性をなさった方だから、別け隔てをしないその延長のことだろうよと周囲は思っているようだが、帝にさえ未見の書物でも彼が頼めば二つ返事で貸し出してくれる辺りは、そんな理屈こそ逆さまなのだろうと、
“世間知らずなボクでさえ判ることだもんな♪”
 こらこら、自分でそんな風に言いますかい。
(苦笑) そんな高見さんが何を言って来たのかといえば、
「百済からの何とか雑記という書を貸してほしいとのことですが。」
 何とか雑記って…。
(笑) そんな覚束無いことで、沢山の咒や術を扱える陰陽師になれるならこれほど驚きな話はないところだが、もっと驚くべきは、
「それなら向こうだ。探査の咒で探してみな。」
 それで通じたか、振り向きもしないでその細い顎を斜め後方の背後へとしゃくって見せたお師匠様であり。冷ややかな横顔は無心のままに読書に集中しているからか、それにしては…癇癪を起こしもせず、セナへいちいち応対してくれたのが珍しいことだったのだけれども。そんなこんなも今はさておいて。お邪魔をしてはいけないと、小さな書生くんも素早く行動に移る。お師匠様へ小さく目礼をしてから、くるりと背を向け、お胸の前にて右手を構え、真っ直ぐ立てた人差し指にて小さく印を切ってから、そっと瞼を伏せて…念じること幾刻か。
「………あ。」
 学問という方向からはまだまだ危なっかしいが、そこはさすが、実践教育を受けている真っ最中の術師見習いくん。言われた通りの探査の咒で、目的の巻物の在処が判ったらしい。これでもかと広げられた巻物や冊子を踏まないようにと注意しながら。時には随分と奥に放られてあって、今は要らなさそうなのをくるくると巻き戻しながら、目的の奥向きへと何とか辿り着けたは良かったが、
「あやや…。」
 何でこんなことになっているやら、お目当ての書は…伝説の天女の羽衣よろしく、広げられたまんまで天井間近い梁に引っかけられてて手が届かない。これが何でもないものならば、眼前へと垂れ降りている端っこを引っ張れば取れなくもないけれど、大切な巻物だけに破れはしないかと思えばそんな乱暴も出来なくて。
“…えっと。”
 困った困ったといじいじしていたものの、こういう時の文字通り“神頼み”。またまた瞼を伏せて“なむなむ”とお祈りしたセナくんで。それからそぉっと目を開けたが、
「? あれ?」
 何の変化も起こらない。あれれぇと小首を傾げてから、もう一回ほど“なむなむなむ”をしたけれど、やっぱり室内は静かなままであり。
「???」
 変だな訝
(おか)しいなと思いつつ、今度はキチンと…宙空に印を切っての召喚を試みたものの、やっぱり変化はないままだったから、
「そんなぁ〜〜〜。」
 これはさすがに暢気に構えてもいられない。だってね、あのね、

  「進さんが、進さんが出て来てくれないっ!」

 凛然とした横顔に、凍夜の碇星のように鋭く澄んだ眸をした闘神様。セナへと忠誠を誓って下さった、それは頼もしい黒髪の憑神様。好戦的ではなく物静かな佇まいのお兄さんで、何があってもセナのお傍におりますよという誓約を立てて下さった筈であり、今までは心の中でお名前を呼ぶだけでやって来て下さったのに。正式な召喚の咒を切ってもそのお姿が見えないなんて何てこと。こうなったら“眞
(まこと)のお名前”を呼ぼうと意を決したところが、
「慌ててんじゃねぇよ。」
 お館様のお声が飛んで来て、
「奴なら来ている。庭先へ出てみな。」
「あ、はいっ!」
 奥まで入るのはなかなか難儀をしたけれど、片付けたから戻るのは簡単で、とたたた…と板張りの床を微かに鳴らしもってお外へ飛び出せば、そちらさんも自分の手や胸元という姿を怪訝そうに見回しながら…ちなみに正式な咒で召喚したので、革製の籠手やら肩当てやら、細い鎖を縫い込んだ胴巻きやらといった戦闘用の武具をきっちりとまとった、武装をなさっていた進さんが立っていらっしゃり。
「進さんっ!」
 ああ良かった、呼んでも来て下さらなくなっちゃったのかなって思ったら、凄っごく凄っごく怖かったですぅっと。濡れ縁からそのまま飛びついて来た小さな主人を、雄々しき腕で難無くがっしと受け止めてから。

  「…で。一体何をして蛭魔を怒らせたのだ?」
  「知らねぇよ。」

 進さん、そんなすっぱりと。
(苦笑) 憑神様と葉柱のやりとりへ、頼もしい懐ろへすっぽりと抱えられたままなセナが、
「進さん?」
 何のお話ですかと小首をひょこりと傾げて見せると、
「どうやら術師殿が強力な結界を張っているらしいのだ。」
 こちらさんへは判りやすいようにと、詳細を語って下さった、結構現金な憑神様だったりし、
「え? でも。」
 自分はすいすいと入れましたよ? それに何も感知しませんでしたしと口にし、それから。これでも術師の端くれなのに何も感じられなかったなんてと、今更ながらに瞳が潤みそうになったのへ、

  「安心しろ。陰体拒絶の結界だ。」

 その大きな瞳から最初の涙が零れ出す前にと素早く言ってのけて、それからね。
「それも、標的を随分と絞ってあった結界だったからな。なのに私までが入れなかったのは、さっきセナが御簾を上げたので、新たに結界を張り直して輻湊障壁になってしまったせいなんだ。」
「えと…はい。」
 判らないトコもあるけれど概
(おおむ)ねは判りましたと。相変わらず“それで良いのか?”と思うようなお返事をして頷いたセナくんまでもが、お顔を向けて訊いたのが、
「今朝も何か喧嘩してらしたのでしょう? その続きなんですか?」
「………お前らな。」
 そこんトコだけ的確に“判って”るんじゃねぇよと、ついつい拳をぐぐっと握り締めたくもなったらしき葉柱さんだったが、

  「俺にも何が何だか。」

 そうと言い返しながら“はぁあ”と吐息をつくと、肩を力なく落として見せたりする。実を言えば、お手上げもいいトコ。声を掛けても返事はなくて、入ろうと手を掛けた御簾はどういう訳だか…風には揺れるのに自分が触れると頑として動かずで。
「言われた通りに塒に帰って、留守を守ってる連中に話を聞いても来て。当分は大丈夫だろうってんで戻って来たのによ。」
 お天気なところの強い主人なのは百も承知ではあったが、この“何にも反応がない”というパターンは初めてのことなだけに、何がどうしたのだか一向に判らない式神様でいらっしゃり、
「朝は何で揉めてらしたんですか?」
 セナがご挨拶して寝間へと下がろうとしてからも、何やら喧々囂々という勢いで言い合いをなさってませんでしたか? 立ち聞きはお行儀が悪いことですし、ある意味でいつものことだからと、その時は“やれやれ”と思った止まりで気にしなかったのですけれど。
「この結界が葉柱さんを入れたくないっていう目的で張られたものなら、その喧嘩も関係があるのでは?」
「う〜〜〜ん。」
 やっぱりそうなるのかなぁと、小さなお子様の言いようへ納得させられてる、何とも困った邪妖のお頭さんで。
「別に…そんな大層な話をしてた訳じゃねぇんだがな。」
 こりこりと頭を掻きつつ手短に、こそこそと今朝方の喧嘩の発端を話し始めた…やっぱり困った式神さんであり。せめて東宮様辺りが相手ならともかくも、この顔触れへ相談して解決するんだろうか?
(苦笑)
「………女の人、ですか?」
「ああ。」
「でも、それってお師匠様と知り合う前のお話なのでしょう?」
「いや…実は しばらくほどは付き合いも続いてた…と思う。」
 何たってその頃は憎たらしいばかりな相手だったからな。人を顎でこき使って、しかも凄まじいまでの罵詈雑言を、葉柱の仲間にまで浴びせかけるとんでもない奴で。だから用がない時は出来るだけ離れていたし、願わくば顔も見たくはないってな状態だった、か、な。自分でそうと口にしてから、
「………。」
 う〜んと考え込んだ葉柱だったのは、

  “…変われば変わるもんだよな。”

 今だって蛭魔の放つ強烈な悪口雑言は相変わらずだし、大胆不敵な我儘勝手だって、収まるどころかますます苛烈になってないかという勢いだし。なのに…何故だろうか。今はその顔や姿を見られないのがこんなにも辛い。大丈夫なんだろうか、中で倒れてはいまいかと、セナが来るまでそりゃあ心配していたし、無事なら無事で、やっぱり切ない。一体どうしたんだろうかと、考えあぐねて“む〜ん”と沈んでしまった式神のお兄さんへ、
「でも。焼き餅って、どうでもいい人へは焼きませんしね。」
 けろりと投げられた一言があって。


   ………はい? 何ですて?


 聞こえはしたが、理解不能。日本語だとは判ったが、意味合いも判ったが、それって…誰が誰へという意味のお言葉なんでしょうか? キョトンとしたそのまんま、日頃からも結構力みの強い目許をますます見張って、呆気に取られている葉柱へ、

  「だから〜。どうでもいい人のことならば、
   誰と恋愛しようが、喧嘩をしようと怪我をしようと、
   全っ然 気にならないからって、知らん顔していられるじゃないですか。」

 歌うように軽やかな口調にて、そうと細かくかみ砕いたセナの説明が、葉柱の脳へと届く暇
いとまが…果たしてちゃんとあったかどうか。

  「うっせぇなっ!」

 彼らが額をくっつけ合って、ごそごそと“文殊の知恵”をやっていた濡れ縁へと向けて、全部を降ろされていた御簾が広間の中から大きく跳ね上がり、大きな“気功”の塊がどどんと飛び出して来たから堪らない。彼らへまともに叩きつけられた“気”の塊は、これでも多少は加減されているらしかったが、かなり雄々しく頼もしい体躯をした進や葉柱でさえ、縁側から庭の地面まで易々と転がり落としたほどの威力であり、
「ひゃあぁ〜〜〜っ!」
 お師匠様が怒った〜っと、甲高い悲鳴を上げるセナくんを小脇に抱えて。進さんが素早く逃げを打ったその後へ、
「勝手なことを決めつけてんじゃねぇってのっ!」
「それは俺が言ったんじゃねぇてばっ。」
 そだったねぇ。
(笑) あんな大胆なことを口にしたのは、葉柱さんではなく、あんたのお弟子さんですから。(残念…ってか?/笑) そんな弁明の暇さえ与えず、立て続けに“気砲”を撃ってくる術師殿であり、


  「あんなチビでも勘づいたことにさえ気が回らねぇんだから、
   救いようがねぇほど鈍臭い奴だよなっ、まったくよっ! ///////


   ………もしかして逆ギレでしょうか、お師匠様。








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